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キャプテン翼のキャラクターを紹介するブログです
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「修哲トリオ」の一人でFW。南葛市出身。凄い天然パーマ。自他共に認める「点取り屋」だが、翼や日向等の必殺シュートを持つ選手が続々と登場していったためか、あまり活躍した場面はない。
中学生編の比良戸戦にて「今は南葛の点取り屋だ!」と言い放ち決勝点を決めた。「翼と岬のゴールデンコンビにはかなわないが、俺たちだって銀くらいの輝きは持っているつもりだぜ!」というセリフから、来生と滝で「南葛シルバーコンビ」という標語が生まれている。
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「修哲トリオ」の一人でMF。南葛市出身。長髪。最近あった人気投票でも上位に食い込む程、一般プレイヤーの中では人気が高い。 優れたゲームメイク能力と判断力、そして卓越したジャンプ能力を持つ。翼の負傷時にはかなりのゲームメイカーぶりを発揮している。全日本ではベンチ要員だが、西ドイツ戦では石崎が負傷した際、本職を差し置いてDFで出るなどかなりの活躍を見せている。
【中学生編】で「5メートルダイビングヘッド」なる技を披露した。 高校時代は井沢、高杉、来生、滝、森崎の5人で「南葛5人衆」と呼ばれていた。
テクモ版「Ⅳ」では滝・来生・井沢の「修哲トリオ」3人がフィールドに居る場合、「トライアングルアタック」というスライディング技が各々で使える。
テクモ版では「I」のみ、必殺シュート「ダイビングヘッド」を持つ。12月20日生まれ血液型O型。
ポジションはGK。「S.G.G.K」(スーパーグレートゴールキーパー)と呼ばれる程の実力を持つ。南葛市出身で、父は地元の名士。元日本代表ゴールキーパーである見上辰夫に小・中とずっとGKのコーチなど世話してもらい、小学校6年ではすでに2人の高校生が同時に放ったシュートを両方止めたり、ペナルティエリアの外から中学生の野球部が投げた野球ボールまでセーブしたりするほどの実力に達していた。
大空翼が転入して来た時に、いきなり挑戦状(ボール)を叩き付けた相手である。始めは翼達のライバルとして立ちはだかるが、次第に打ち解け南葛SCでは守備の要として活躍。南葛SC初代キャプテンであり、チーム内では一番の信頼を得ていた人物である。ちなみに、五年生時(修哲小)に無失点で全国制覇を成し遂げているという快挙。この時「日向小次郎などはどうしていたんだ」ということは謎である。日向も若林も三杉も、みな6年生で出会うまで互いに面識は無く、ほとんど存在さえ知らなかったようであるがこの辺は作品への愛で大人の事情と言うことにして欲しい

小学校卒業後には見上コーチの誘いで西ドイツへ渡り、GKとしての才能をめざましく伸ばす。以降カール・ハインツ・シュナイダーとはライバル関係にある。ペナルティエリア外からのシュートは必ず止めることが信条で、試合ではアディダスのキャップを被っていて、それがトレードマークにもなっている。「自分さえ抜かれなければチームが負ける事はない」という持論を持ち、堅実的な守備を見せるが、時にはGKながら、オーバーラップして果敢にゴールを狙ったりもする。この頃から予選や大会序盤は負傷などの理由で欠場することが多くなった。

「ジュニアユース編」では見上監督に頼まれて、チームメイトに奮起を促すために必要以上の罵声を浴びせるなどの悪役を買って出るものの、結局日向にバレてしまう。決勝(対西ドイツ)では若島津の負傷と森崎の説得によってスタメンとして出場。2失点を喫するが最後までゴールを守り抜いた。

「ワールドユース編」では2度もペナルティエリア外からゴールを許してしまったためか、それ以降の作品では「絶好調の若林からペナルティエリア外からゴールを奪えた物はいなかった」という事になっている。

「GOLDEN-23」では、ドイツブンデスリーガのハンブルグで、「3戦連続出番無し」という悲しい状況にあり、これは、監督との不仲が原因だと言われている。 しかし、その後、現U-22日本代表監督の吉良耕三に呼び出され、背番号「24」を付け、代表に復帰する。 また、若林の移籍問題も浮上し、ライバルであるカール・ハインツ・シュナイダーは、「ハンブルグで出番が無いなら、逸早くこのチームに来い」と、心から若林のB・ミュンヘン入りを望んでいる。読みきりで「今期よりB・ミュンヘンに移籍」と書かれており、本編でも近々ミュンヘンに移籍する模様。


「ROAD TO 2002」の対B・ミュンヘン戦で監督の指示を無視してオーバーラップし、フリーキックでゴールを狙ったが、逆にシュナイダーにセンターサークル付近からゴールを許してしまう。この事が元で監督とは不仲になってしまい、外国人枠の問題もあり試合を干されてしまう。後にバイエルンに移籍する様な流れが見え隠れしていた

ちなみに石崎了以上のネタ要員である
DF。通称「ファンキーガッツマン」。南葛市出身。実家は風呂屋。浦辺とは小学校時代からの腐れ縁であるが、試合では絶妙のコンビネーションで相手の攻撃をブロックする。小学校時代から、髪型は一貫して坊主のままである。 その名の通りガッツあふれるプレーが持ち味で、「顔面ブロック」は彼の必殺技?の一つである。翼が南葛市に転入した時に初めて出会った人物である。翼や岬ほどの才能が無いながらも自慢のガッツで頑張り、キャプテンを任されたこともある。テクモ版では必殺シュート「顔面ダイビング」「ヤマザルバスター」という顔面で撃つシュートを使う。また、必殺ディフェンス「ヤマザルタックル」、「顔面ブロック」、「スクランブル顔面(+次藤)」(立花兄弟のスカイラブハリケーンブロックの顔面版のようなものである)等を持つ。「III」からライバルとしてアメリカ代表ミハエルがいる。「IV」では大学選手権でV2を達成し、その功績から研修の形で翼がいるサンパウロに留学し、最後まで翼と同じチームで活躍する。「V」はドリブルを「顔面ブロック」で止めるという荒業を成し遂げる。主な背番号は4番
顔面と言えば石崎了、石崎了と言えば顔面と思い浮かぶほど顔面が有名である
何かとネタ要員にされがち
ポジションはMF。大空翼の盟友であり通称「フィールドのアーチスト」。出身地は不詳であり、画家である父親と全国各地を転々とする生活をしていた。翼に匹敵するほどの実力の持ち主であり、南葛小に転校してきて以来、翼と共に「ゴールデンコンビ」と呼ばれる。偶然の「ツインシュート」も放っている。日向や松山とも短期間だが同じチームでプレイした事もあり、どのようなタイプの選手とでもすぐにコンビプレーができる抜群の適応能力を身に付けている。

【ワールドユース編】では全日本離脱後に世界を放浪、アフリカで「ブーメランシュート」という180度近く曲がるすさまじいシュートを覚えた。(しかしあまりに非現実的過ぎたためかROAD TO 2002では披露されていない。代わりに「S・S・S(スリーエス)」(スピードスライドシュート)を習得した)。ちなみに本当はブーメランはオーストラリアのアボリジニが使う狩猟用の武器であり、アフリカには存在しない物である。
その後交通事故に遭い大会出場は絶望視されるが、驚異のリハビリで無理をおして決勝戦のみ途中出場する。この無理がたたり、その後は長期の再リハビリ。リハビリ完了後はジュビロ磐田で復活する。しかし、そのたび重なる無理のため左足にこれ以上傷を負うと選手生命の危機に陥るらしい。

主な背番号は11番。フル代表等では、「3+8」(=11)の背番号を使用している。また、ジュビロ在籍時には35番を使用した。将来的にフランスリーグのパリ・サンジェルマンに移籍する様な流れが見え隠れしていて怪しい
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